ルイ・ズボロウスキー氏Wiki-巨額の遺産で自動車レースに挑み続けた生涯

ルイ・ズボロウスキー氏のことが記事で取り上げられていましたが、多くの方が彼のことをご存じないだろうと思い、彼に関する情報を調べてみました。

2万3000ccの航空機用エンジンを搭載した怪物マシンでサハラ砂漠を旅した?!

ズボロウスキー家の富と名声は、彼を1920年代における自動車レースの最高峰へと導いたが、それ以外は何も受け継がない方がよほど幸せだったのかもしれない。

出展:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190516-00002470-octane-life

簡単なWikiです。 どうぞ。

1. ルイ・ズボロウスキー氏のプロフィール

ルイ・ボーロー・ズボロウスキー(英語表記:Louis Vorow Zborowski) 氏は1895年2月20日生まれで1924年10月19日に亡くなったイギリスのレースドライバーおよび自動車のエンジニアです。

ズボロウスキー10歳の頃

出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Zborowski#/media/File:Louis_Vorow_Zborrowski_by_Julian_Russell_Story_(1857-1919).jpg

お父さんの名前はウィリアム・エリオット・モリス・ズボロウスキーと言い、レースドライバーでしたが、1903年にフランスのニースにあるLa Turbie Hillclimbでレース中に亡くなっています。

そして彼のお母様の名前はマーガレット・ローラ・アスター・カレーと言うアメリカの名門富裕層のアスターファミリー一族の出で、一度エリオット・ズボロウスキー氏と結婚する前に結婚歴がありました。

父親が亡くなったルイ氏のために母親のマーガレットさんは1910年に、91ヘクタールの農場と12軒のお家をケント州にあるカンターベリーに£17,500で購入し著名建築家のジョセフ・ソーヤー氏に依頼し£50,000かけて改装しています。

しかしながら、翌年ルイ氏が16歳の時に母親が亡くなってしまい(死因は不明)、ルイ氏が相続したところ、当時世界の21歳で4番目の資産家になってしまったのでした。

ルイ氏が相続したのは当時のお金で£11,000,000と上記の土地物件に加えてアメリカのマンハッタン島にある2.8ヘクタールの土地と五番街にある何ブロックかの土地です。

今の物価に直してもこれらは相当な資産価値になることは間違いありません。

とんでもないお金持ちだったのですね。

2. ルイ・ズボロウスキー氏の自動車への情熱

ズボロウスキー氏はアマチュア・レーサーとして様々な経験を積んでいます。

アストン・マーチン社へは創立当時のパトロンとして出資し、ブルックランドでのレースやフランス・グランプリにレーサーとしても出場しています。

1921年にはイギリス代表としてルマン耐久レースに出場する予定でしたが、予定を変更して英国で最もスピードが出るヒル・クライムコースとして有名なShelsley Walshのレースに出場しています。

また、スボロウスキー氏は自身のレースカーをカンタベリーの馬小屋で彼のスタッフ・エンジニア兼補助ドライバーのキャプテン・クリーブ・ギャロップ氏(後にベントレー社のレーシング・エンジニアとして活躍)と共に4台設計し製造しています。

その最初の車がマイバッハ社の空冷モンスターエンジン、排気量23,093ccで6気筒の車でチキチキバンバンと呼ばれた車です。

チキチキバンバン1号車

出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Chitty_Bang_Bang#/media/File:Count_Zborowski_With_Chitty_Bang_Bang_1_At_Brooklands.jpg

そして2台目の車もチキチキバンバンと呼ばれていましたが、そちらはベンツ製空冷エンジンで排気量18,825ccのモデルのものでした。

チキチキバンバン2号車

出展:http://www.penultimateharn.com/hero/chittyII.html

3台目の車はホワイト・メルセデスと呼ばれた車でメルセデス28/95をベースにしたメルセデス社の空冷排気量14,778ccの6気筒エンジンのものでした。

ホワイト・メルセデス

出展:http://www.mundalis.com/shop/chitty-bang-bang-hc172.html

これらの車は世界初の常設コースとして知られるブルックランド・サーキットで優れた記録を残しています。

そして最後にカンターベリーで造られた車はアメリカン・リバティー社の27リッター空冷エンジンの車で製造地(カンターベリーのHigham Park)に因んで、「ハイアム・スペシャル」と呼ばれていました。

ハイアム・スペシャル

出展:https://en.wheelsage.org/thomson_taylor/higham-thomas_special_babs/pictures/k8jao9/

ちなみに、ズボロウスキー氏の死後、「ハイアム・スペシャル」はJ.G. Parry-Thomas氏によって購入され、当時の最高速度を記録する車に改造されています。

1926年に何と時速272キロの記録を残し、1927年にはその記録を越えようと挑戦したところ車が転倒し炎がつきドライバーが亡くなるという事故に遭遇してしまい壊れてしまいました。

後にこの車はレストアされ、夏季はペンディン・サンドのスピード博物館で、それ以外はブルックランド博物館に展示されています。

 

1922年の1月には、ズボロウスキー氏は妻のヴィーさん、キャプテン・クリーブ・ギャロップ氏とその他三人の技術者と共に2台目チキチキバンバンとホワイト・メルセデスを駆使して地中海を渡ってサハラ砂漠を横断するレースにも参加しています。

1923年には米国のインディ500にブガッティを運転して参加。

また、同年イタリアのモンツァで開催されたグランプリレースにはアメリカ人の技術者ハリー・アルミニウス・ミラー氏が設計した単独シートの 「アメリカン・ミラー 122号」に乗って参加しています。

そして1924年にはメルセデスのレースチームに参加していたのですが、モンツァのグランプリレース中に運転を誤り木に衝突して29歳の若さで亡くなっています。

3. ルイ・ズボロウスキーの鉄道への情熱

ズボロウスキー氏は自動車だけではなく、鉄道にも大変な情熱を燃やしていました。

ケント州の家の周囲には15インチ(381mm)ゲージの線路を敷きハイアム鉄道を創設。

後にこれがきっかけとなり、ズボロウスキー氏とキャプテン・J・E・P・Howey氏による合同プロジェクトで全長23キロの鉄道路線がケント州内でRomney、Hythe とDymchurch間にて同じゲージ長で敷かれることとなり、これが現在でも使用される人気の観光用および地域住民の移動用鉄道になったのでした。

ズボロウスキー氏はハイアム鉄道のためにBassett-Lowke社からSLを1924年に購入していましたが、彼の死後はフェアボーン鉄道によって同機種が引き継がれ、彼に敬意を評し”Count Louis” という名前がつけられて1988年まで運行されていました。

Count Louis

出展:http://www.simplonpc.co.uk/EVLR1.html

4. 007にも影響を与えたズボロウスキー氏

スパイ映画007の原作者で有名なイアン・フレミング氏は魔法の自動車チキチキバンバンという童話/ミュージカルをズボロウスキー氏の様々な功績にインスパイアされて書き上げています。

フレミング氏は少年時代にブルックランドのサーキットでズボロウスキー氏のレースを観戦し、後にハイアム公園(当時はハイランド・コートとして知られていた)にレースマニアとして通うほど自動車に情熱を持つ様になったのでした。

この自動車への情熱がジェームス・ボンドがアストン・マーチンやジャガー、BMWやロータスなどの様々な高級車を用いて大活躍する名作スパイ小説として昇華させたのでした。

 

ところでチキチキバンバンの話に戻りますが、この童話の第3作ではズボロウスキー氏をオマージュした人物が登場し、ズボロウスキー氏のチキチキバンバン号や彼が亡くなったレース事故なども細かく描写されており、フレミング氏のズボロウスキー氏への憧れがとても良くわかります。

ブログ管理人が今でもたまに昔を懐かしんで読むことがあるチキチキバンバンですが、車が好きな幼稚園に入る前から小学3年生くらいの男の子をお持ちの方にはオススメですのでよろしければ手にとって見てください。

5. ネットの声

 

6. まとめ

007の映画があんなに見応えがあるのも作家のイアン・フレミング氏がズボロウスキー氏に心酔していたからだ・・・ということがよくわかりました。

乗り物に情熱を捧げたズボロウスキー氏ですが、自身が車好きになったのも彼の影響があったからなんか・・・と再認識させられました。

 

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