Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

アラン・ガルシア元ペルー大統領はどんな人?資金洗浄疑惑渦中人物の資産?

衝撃のニュースが入ってまいりました。ペルーの元大統領アラン・ガルシア氏が自ら命を絶ったとのことです。

 

【4月18日AFP】(更新)ペルーのアラン・ガルシア(Alan Garcia)元大統領(69)が17日、収賄の疑いで逮捕される直前に自宅で銃を使って自らの頭部を撃ち、搬送先の病院で昇天した。APRA党のオマル・ケサダ(Omar Quesada)幹事長が明らかにした。

警察は午前6時半(日本時間17日午後8時半)、首都リマの高級住宅地にあるガルシア氏宅で同氏の拘束を試みた。スレマ・トマス(Zulema Tomas)保健相によると、ガルシア氏は緊急手術中に心停止を起こし、3度にわたり蘇生させられたものの、最終的に息を引き取った。搬送先の病院は、ガルシア氏が頭部に銃弾を受けていたことを認めた。

1985年〜90年と2006年〜11年の2度大統領を務めたガルシア氏に対しては、ブラジルの建設大手オデブレヒト(Odebrecht)をめぐる広範囲の汚職スキャンダルでのマネーロンダリング(資金洗浄)容疑で逮捕状が出されていた。

ペルーのマルティン・ビスカラ(Martin Vizcarra)現大統領はツイッター(Twitter)で追悼の意を表した。

ガルシア元大統領は汚職スキャンダルに巻き込まれてマネーロンダリング容疑で逮捕状がでていたのですね。

ペルーは遠くて日本人にはナスカの地上絵くらいしか馴染みが無いかも知れませんが、日本出身のフジモリ大統領を収監したり、麻生総理大臣と会談を持ったりと日本とは比較的親交があった政治家さんです。

この記事では、アラン・ガルシア氏のプロフィールと共に、なぜこの様な痛ましい事件がおきてしまわなければならなかったかを解説させていただきます。

1. アラン・ガルシア氏のプロフィール

アラン・ガルシア氏の本名は、アラン・ガブリエル・ルドウィグ・ガルシア・ペレス(Alan Gabriel Ludwig García Pérez)と言い、1949年5月23日生まれ。

2度結婚しており、1978年に結婚した2度目のお嫁さん(Pilar Noresさん)との間に5人の子供がいました。

出展:https://planetrulers.com/tag/pilar-nores-de-garcia/

(1)若い頃のアラン・ガルシア氏

ペルーの首都リマの中流家庭出身で生まれた時に父親は当時反政府組織だったAPRA(アメリカ革命人民同盟)の書記を務めており投獄されていて、ガルシアが父に初めて会ったのはガルシアが5歳になってからでした。

そして、当人も幼い頃からAPRA支持者の子供向けの学校「カサ・デル・プエブロ(人民の村)」に出入りしていました。

高校卒業後は教皇庁立ペルー・カトリック大学を経てサン・マルコス大学で法学学士を取得。そして、スペインのマドリード大学で法学の博士課程を取得する為に留学したのですが、学位を取得することができなかった様です。

その後、他のAPRAのメンバーと一緒にフランスの超一流大学のパリ大学に留学して社会学で学位を取得していましたが、APRAの創設者、ビクトル・ラウル・アヤ・デ・ラ・トーレに招集され帰国しています。

(2)帰国後から第1期大統領退任まで

制憲議会議員選挙にAPRAから立候補し当選することで政治家としての活動を始めています。

そして1985年にAPRAから大統領選挙に立候補し、初当選を果たし、当時36歳でペルー史上最年少の大統領の誕生となりました。

就任当初はその容姿から国内で大変な人気を誇っていたのですが、当時ラテンアメリカは深刻な経済危機に見舞われ、ペルーも例外ではありませんでした。

ガルシア氏は「銀行の国有化」と「対外債務の返済凍結(返済額をGNPの1割に制限すると宣言)」という政策を実行しますが、IMF(国際通貨基金)の反感を買い、投資不適格国と評価される様になったペルーは外国からの投資が途絶えより貧窮に苦しむ様になりました。

そして、年率7000%以上という目も当てられない様なインフレーションが起こりペルー経済は壊滅的な状況においこまれています。

1990年の任期終了後は、フジモリ大統領によるクーデターで訴追を受け、コロンビアに亡命し、暫くはフランスに住んでいました。

(3)第2期大統領就任から現在まで

2000年にフジモリが大統領職を罷免されたことを受け、翌2001年には罪を許されて帰国し再度大統領選に立候補するも落選。

そして2006年に再び大統領選に立候補し当選。2011年まで大統領を務めていました。

2期目は、国際的に金属の価格が上昇する最中にあったため、ペルーも平均年率7%の成長を遂げ、年間インフレ率を3%以下に止めることに成功。

結果、資源国であるペルーは$47billion(約5.3兆円)の外貨を稼ぐことに成功し評価を得ていましたが、一方で環境破壊や人権侵害などの問題を抱え批判もされていました。

大統領を退任した後になってブラジル建設最大手のオデブレヒト社が南米の有力指導者や政党に賄賂を送ったスキャンダル問題が発生したのですが、その捜査の中でガルシア氏が2期目の大統領在任中にリマ市内の電車工事をめぐって裏金を受け取った疑惑があがっていました。

結果、裁判所からは出国禁止命令がでており国内で軟禁された状態を送っていました。

今回自ら命を絶ったガルシア氏ですが、上述の汚職疑惑で逮捕命令がでたことから拘束されることを拒否して自らを殺める決断を下したのでした。

 

2. ペルー大統領としての活動特記事項

(1)資源開発の為の虐殺行為

ガルシア氏は2期目の大統領就任時に国の経済発展の為、資源開発に着手したのですが、その活動の一環で国家警察を創設し先住民を大量に殺めたことから批判を受けています。

(2)死刑の復活推進

また、元々はペルーは死刑廃止国なのですが、7歳未満の子供に性的暴行を加え殺害した犯罪者に対して死刑適用を認めることを選挙公約に掲げて2期目の当選を果たしています。

この法律については、現在も審議が行われておりますが、背景に、広島小1女児殺害事件の容疑者として逮捕された日系ペルー人が、ペルーでも同様の性犯罪を繰り返していたにも関わらず収監を逃れていたことにあります。

(3)親米寄りのスタンス

2006年10月にアメリカを訪問してジョージ・W・ブッシュと会談し、「アンデス原理主義」として政策の対立するベネスエラとボリビアを非難し、2008年3月16日と2009年11月10日の2度、新米国である日本を訪問し当時の麻生首相と親交を深めています。

 

3.アラン・ガルシア氏の資産は?

実はアラン・ガルシア氏はペルーから国外出国が禁止され、反政府組織としてマークされていた為、ウルグアイに亡命申請をしており、これまではペルーのリマ市内の高級住宅地の中にあるウルグアイ大使館で生活をしていたことが判明しています。

出展:https://www.bbc.com/news/world-latin-america-46430050

 

そして米国の著名人の財産・資産情報を追うゴシップサイト-celebstrendnow.comではガルシア氏の資産を以下の通りと推定しています。

 

https://celebstrendnow.com/alan-garcia-net-worth-2/

年収は10万ドル(約1,100万円)から100万ドル(約1.1億円)で政治家としての収入があるのみ。その他は一切不明。

 

これは公になっているものだけですから、賄賂があれば、また別ですが、想像していたよりも収入は多くなく、そんなに大した財産は持っていなさそうということでした。

 

大統領という権力を手にしていたのですから、もう少しは財産があるのかな?と思っていたのですが、ペルー自体が貧しい国ですので、こんなものかも知れませんねぇ。

ちょっと寂しくてがっかりしました。

4.ネットの声

5. まとめ

ガルシア氏の人生は生まれた環境から親米で育てられ、ある意味親やアメリカ革命人民同盟の犠牲になったものだったかも知れません。

国の発展のためにたくさんの先住民が犠牲になったのも悲しいですが、彼自身の最期も悲しいですね。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


関連記事

感動映像-米テキサス洪水孤立ホテルで32時間連続勤務バイトに賞賛の嵐

(動画)米ボストンで泥棒が留守中に掃除/整頓?ネイト・ローマン家

(画像)米ルイジアナ可動橋転落事故現場の様子、被害者、車について

動画イスラエル・ネタニヤフ首相サラ夫人パン投げ捨てる?ウクライナ

最新映像バリ島沖でM5.7地震建物倒壊?現場の様子?被害は?

画像ハンナ・ウィリアムスさん警察発砲被害女子高生米加州フラートン